頑張ること

そろそろ年賀状の季節です。少し前までは、年賀状に添える言葉として、自分の抱負としては「今年も頑張ります」、年下の人に対しても「今年も頑張りましょう」などと書く場合がありました。しかしながら、最近は「頑張る」ことの美徳よりも、「頑張る」ことによるストレスの問題がクローズアップされるようになってきており、「頑張る」という言葉を安易に使うことに対して、躊躇する気持ちがあります。私自身、管理職になったときに、誰に助けを求めることもなく一人で頑張って仕事を抱え込んで、同時に病気を抱えることにもなってしまいましたし…。

問題の多い「頑張る」ですが、頑張ることがいけないのではない、とあえて反論したいと思います。例えば、サッカー選手や野球の選手がうまくなりたいと願って、頑張って練習して一流のプレーヤーになることをいけないこと、と考える人はいないと思います。

「がんばる(頑張る)」を辞書で調べてみると、「あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する」(大辞林)とあります。ただ、努力するだけではなく、“目的を達成するために困難に耐える”という修飾語が付加されています。「頑張る」という言葉は、心の持ち方(あり方)を規定していると感じていましたが、そのイメージは間違っていなかったようです。

よく考えてみると、「頑張る」という言葉を使うに当たって、何に対して頑張るのか、対象を明確にしないで使うことが多いのではないか、と思います。相手が頑張れる対象を持っているのかどうか、ということはあまり考えず、便利な言葉だから、つい使ってしまう。人によって千差万別である「心の持ち方」の部分であるにもかかわらず、一律にただ頑張れと言うことで、相手に必要な助言を与えたかのように錯覚している部分があるのではないか、と感じます。

先に述べたように、スポーツなどの好きな対象を持っている人ならば、頑張る⇒うまくなる⇒さらにやる気が出る⇒頑張る、という好循環のサイクルに入ることが可能だと思います。昨年放映していた「ドラゴン桜」でも勉強の嫌いな学生に対して、勉強の楽しさを教えることによって、頑張りの好循環のサイクルを起こして、東大合格の実力を養成するという内容がありました。

しかしながら、一方では、全く頑張りようのない立場に置かれている人もいます。先日、テレビで放映されていた、「Dr.コトー診療所2006」において、余命いくばくもない癌患者に対して、見舞いに来た人(病状を知らない)が、「頑張って!」と励ましたときに、癌患者が「何を頑張ればいいの」と落ち込んでしまうシーンがありました。また、いじめによる自殺が相次いでいますが、いじめられている本人が頑張ろうとも改善する見込みは少なく、この場合「頑張れ」と指導することは、「我慢しろ」と言っているのと本質的には変わりありません。

私の意見ですが、人が頑張れるかどうかについては、心のキャパシティ(許容量)が関係しているのではないかと感じています。基本的には好きなことについては、このキャパシティが大きく、いくらでも努力でき頑張れます。頑張りの好循環サイクルに入れば、キャパシティがどんどん拡がります。逆に、全く頑張りようのない状況では、キャパシティがゼロに等しく、頑張りを強制すると精神や肉体の病気になってしまうかも知れません。

このキャパシティは、人によって全く異なりますので比較対照することには意味がありません。また、同じ人でも心の持ち方次第で、刻々と大きさが変化しています。今日まで好きなことで頑張れたとしても、今後もずっと続くかはわかりません。好きでやっていることだから無理がきくと感じる場合であっても、ほんの些細な出来事が、堤防に穿たれた蟻の一穴となり、一気に心身にストレスとなってのしかかってきます(私の経験です)。

戦後の復興から高度成長時代、バブル期にかけては、世の中の価値観にそれほど大きなばらつきがなく、頑張ることによって、必ずある程度は報われてきた時代だったと思います。私が記憶しているオリンピックのコマーシャルで、選手がトレーニングしている姿を流しながらひたすら「頑張れ、頑張れ・・・、頑張ればいつの日か…」と「頑張れ」を連呼するものがありました。オリンピックという形態をとってはいましたが、日本全体が「頑張る」という価値観で統一されていた時代だったのだと感じます。頑張るだけではどうにもならなくなってきた現在では、多分あのようなコマーシャルは作られないでしょうが、“とにかく頑張れば何とかなる”という過去の成功体験?が強固に日本人の意識の底に流れているように思われます。

最初の話に戻りますが、頑張ることがいけないのではなく、相手がどのような状況下に置かれているかよく考えることもなく、頑張りを強制することに問題がある、と思います。頑張ることは、精神的な心の持ち方(あり方)に触れるものですので、相手のことを本当によく知った上でなければ、とても恐ろしくて、「頑張れ!」などということはできないと感じます。子どもや部下に頑張れ、という前に、まず相手の話を聞き、相手の立場に立つことを心がけたいと思います(自分に対する戒めの意を込めて)。