パソ通懐古録(その1)

さて、前回の続きとして、PC懐古録(その3)にしようと思いましたが、内容がPCというよりはパソコン通信ですので、“パソ通懐古録”としました。90年代のパソコン通信全盛時代を、Pecanの視点から振り返ります。実は昨日書きかけたんですが、例によって、操作ミスで吹っ飛んでしまって(<全く学習能力を欠いてますねw)。今後は下書き保存しながら書くことにします。

Pecanが最初にパソコン通信にかかわったのは、91年の秋頃だったと思います。まだ、PC-9800LX4という持ち運び可能ポータブルパソコンを所有していた時代。ちなみに、これは89年に約56万円という、Pecanの給料3ヶ月分をつぎ込んで買ったもの。当時はこれくらいの価格が当たり前でしたが、今から考えれば、NECがボロ儲けしてたんとちゃいますかね? これにつなぐモデム(2400bps)を買ってきたのが始まりです。

モデムに同梱されていた申込書を使って、PC-VANNifty-serveにIDをとりました。大手以外にも地元のBBS(草の根などと呼ばれていました)にも加入して、チャットしたりOFF会にも行ったりしました。

通信ソフトは、一世を風靡したWTERM。非常に優秀なフリーソフトPC-VANNifty用にオートパイロットのマクロがいくつも公開されていて、ずいぶんとお世話になりました。オートパイロットとは、なるべく電話代を安くするため、自動で接続して必要なフォーラム等を回って、会議室の発言をダウンロードしたりアップロードしたり、ソフトをダウンロードしたりして、巡回終了後、直ちに電話を切断するものです。そうそう、電話代のことを“みかか代”などとも言いましたね。疑問に思われた方はググって見て下さい。

当時は、アクセスポイントが各県にあまりなかったので、地方に住んでいると、すぐに話中になってしまい、なかなかかかりづらいものでした。そこで、アクセスが少なく空いている夜中にソフトを自動起動してオートパイロットのスクリプトにしたがって自動的に処理し、朝、発言内容やダウンロードしたソフトを確認するというのが基本的な流れでした。そのうちに、NTTのテレホーダイというサービスが始まって、夜11時から朝7時まで(だっけ、もう忘れたしw)が定額料金になったので、このテレホタイムの開始直後に接続して朝までずっと回線を独占するという極悪なこともかなりやりました。一度切るとつながらなくなるし。覚えのある方も結構いらっしゃるのでは(笑)。

MS-DOS時代に数年間お世話になったWTERMですが、95年にDOS/V機でWindowsになってからはNifty専用の通信ソフトNiftermに乗り換えました。これはオートパイロット自体が機能として組み込まれていて、ほとんど自動で何でもできました。説明書には“シェアウェアの料金の支払いだけは手動でやって下さい”などと書かれていた記憶があります。年間900円のシェアウェアでしたが、あれだけたくさんお世話になれば、十分元は取れたと思います。

最後に余談ですが、私がパソコン通信を始めた当時のNiftyは、会員情報というところで、相手のIDを入力すれば、会員情報(名前と居住地)が自由に閲覧できる時代で、名前からIDを検索することさえ可能でした。公開・非公開は設定できたような気もしますが、当時は電話帳に名前を載せないなんて考えもしない時代でしたから、かなりの人が公開にしていました。Pecanも知り合いの名前を検索しては、“失礼ですが、△△におられた○○さんですか”などとメールした記憶があります。今でこそ、不審メールとして処分されてしまうでしょうが、当時は結構返事があり、知り合いを数人捜し当てた記憶が(笑)。