パソ通懐古録(その2)

さて、パソ通懐古録(1)が長くなりすぎましたので分けます。

Pecanがパソコン通信を始めた当時、「パソコン通信」という言葉から連想するものといえば、チャットとオンラインソフト(今で言うフリーソフト)の2つが双璧でした。PC-VANではギタリストのクロード・チアリ氏の主催するSIG(フォーラムのようなもの)があり、様々なソフトが登録されていましたが、自分としては使いづらく、自然とNiftyのフォーラムに居着くようになりました。最初の頃は、チャットにはまった時期もありましたが、すぐに飽きてしまいました。

フォーラムは、テーマごとにたくさんのものがあり、Pecanが行っていたフォーラムを挙げてみますと、例えば、FSCIはサイエンス関連の話題を扱ったフォーラム、FGAL**はソフトウエアギャラリーといって色々なソフトウエアが集積されている複数のフォーラムでした。ところで、FGAL**でギャル(死語)が集まっていると誤解した人がいたとかいなかったとかw

フォーラムでは、基本的に複数の会議室があり、新しく来た人が挨拶する会議室、テーマ毎の質問と回答の会議室、雑談の会議室などがありました。匿名(ハンドル)で会議室に書き込み、それに対してレスを返し、スレッドが形成されていくというやりとりが会議室の基本的なコミュニケーションの形態です。ハンドルだけでしか知らない相手と文字だけでコミュニケーションを取る必要が出てくるわけで、ずいぶんと訓練されたような気がします。その中には、様々なネット上の決まり事(ネチケット)がありました。今でもインターネットの掲示板等で“マルチポストはダメ”などという発言をみかけます。要するに、同じ質問を色々な場所で行なってはいけない、というものです。こういったネチケットは、インターネット時代になっても生き残っているんですね。

上述したように、パソコン通信では文字だけのやりとりが基本ですから、通常の世界における実体的な人と人との交わりとは異質なものがあります。なかなか、この本質を理解するのは難しく、フォーラムに参加する人同士でトラブルが絶えませんでした。会って話せば何でもないことなのに、何気なく発した言葉にひっかかり、大きなトラブルに発展してしまう。当時のパソコン通信の達人?から教わったことですが、“かっとなったときには、すぐにレスするのではなく、書いた後、一晩おいて、それでも気持ちが変わっていなければ、レスしなさい”というものがありました。これはパソコン通信に限らず、メールでのやりとりでも基本となります。今でも、仕事等で腹の立つような内容のメールを受け取ることがありますが、そんなとき、返信を書いてからすぐ送るのではなく、しばらく冷却期間をおいてみると、不思議と落ち着いているもので、返信の文面をマイルドに書き換えたりすることがよくあります。これでいくつものトラブルを未然に防止しています(笑)。

ところで、Niftyの場合、フォーラムごとにフォーラムマネージャ、サブシス、ボードリーダーなどの役割を持つ人が決められていて、フォーラム運営を任されており、そのようなトラブルが発生しても、だいたいはうまく仲裁するようになっていました。このあたり、やはり有料のサービスならではのものであり、現在の無法地帯となったインターネットの匿名掲示板とは一線を画していると言えます。

ただ、Niftyもフォーラムとは独立した一般の掲示板(名前も忘れてしまった)があり、そこでは発言者のNiftyのIDこそ表示されるものの、無法地帯で罵倒の泥沼と化した魑魅魍魎の住む世界でした。Pecanも余計なことを言ったか何かで罵倒された経験が(苦笑)。そのうちに、会員情報を公開にしている人しか発言できないシステムになり、若干改善したような傾向がありますが…。

さて、パソコン通信の結果は、全てログファイル(テキスト)に保存されます。このログファイル、オートパイロットで巡回すると、だんだんと巨大にふくれあがってきます。巡回する会議室が増えると、一晩で数千行から数万行にも及ぶ膨大なものとなり、到底目を通し切れません。また、会議室での発言の流れもだんだんと忘れてしまって、さっぱりわからなくなってきます。

うまいもので、専用のログカッター、ログブラウザがMS-DOS時代に開発されており、フォーラムで公開されていました。巡回が終わると自動でログカッターでログを切り刻んで、フォーラムごとに別々のディレクトリ(フォルダ)に落とし込み、それを専用のログブラウザで読んでいくことができます。発言ごとに発言者のIDとハンドル、レスの対応関係(スレッド)が表示され、会議室の発言が極めてわかりやすい状態になっています。読みながら、レスを返したい発言に対しては、発言用に割り当てられたキーを押せば、自動でエディタ(自分の好きなものを設定、PecanはVzエディタ)が立ち上がり、レスを書き込むことができます。書き終わったレスは、パソコン通信ソフトのオートパイロットの、発言アップロード用のディレクトリに自動で保存されます。こうしてレスを書き終わると、明け方に立ち上がるように通信ソフトをセットして就寝するだけ。朝になれば、ログブラウザを立ち上げると、会議室で行なわれた自分の発言を読むことができます。

今から思えば、MS-DOS時代にお世話になったフリーソフトは、機能が簡単でシンプルでした。ログカッターは、ログの特徴的なパターンをマッチングして、決められたディレクトリに保存するだけですし、ログブラウザもパターンマッチングして、表示させればよい。それぞれが他のソフトとの関係を意識して作られていましたから、組み合わせることによって、極めて快適なパソコン環境を作り出すことができていました。他にも、ファイル管理ソフトでは、FD(作者の出射厚さんが亡くなられたそうで、ご冥福を祈ります)やFILMTN(フィルメンテ)は、圧縮解凍ソフトのLHAやエディタなどの外部ソフトと極めて良好に連携させることができました。PecanはFILMTNを基本的な操作環境にして、使用するアプリケーションは全てこのソフトにショートカットキーとして割り付けていました。

ところで、Windowsになってからは、複数のソフトを相互に連携させて使うなどということはあまりやられていないようです。一つ一つのソフトが重くてサイズも大きいため、複数の機能を一つのソフトの中に備えていなければ使いづらいからだろうかと思っています。

話が逸れました。

パソコン通信をやっていた時代は、だいたい91年から2000年の約10年間で、後半の5年はインターネットが普及した時期と重なっています。当初は、なかなかインターネットのメールとNiftyのメールが接続しないため、使いづらかったな、という記憶があります。

さて、パソコン通信でどんなことをやっていたか、記憶をたどってみると、だいたい次の4つを熱心にやっていた記憶があります。

  • パソコンでの音楽演奏・作成(92~95年頃)
  • LaTeX(92~97年頃)
  • MS-DOSでのメモリ領域確保(93~95年頃)
  • 知人のホームパーティでの活動(94~2000年頃)

それぞれ、書いていくと非常に長文になってしまいますので、折を見て懐古してみたいと思います。