一応の合理的な疑い

タイトルの意味がわかる方は特許の業界人でしょうか。これは特許の審査基準に書かれているフレーズですが、最初読んだとき、随分おかしな言い回しをするものだ、と思ったものです。それぞれの言葉を辞書で調べてみると、

いちおう  十分といえないがとりあえず。ひとまず。ともかく。ひと通り。
合理的な 論理にかなっているさま。

ということなので、「完全にとは言えないまでも、とりあえずは論理的に考えると疑いを抱くべき状況である」とでも解したらよいのでしょうか。

このフレーズが使われるシチュエーションは、例えば、請求項に係る発明が特殊なパラメータを用いて物が特定されているため、慣用の手段により特定されている先行技術等と直接対比することが困難な場合等に、審査官が特許と先行技術が同一であるとの心証を抱く場合があります。これを指して「一応の合理的疑い」と呼ぶわけです。 もう少しぶっちゃけた言い方をすれば、出願人が公知技術を含んだ範囲を特許にするために、めくらましの適当なパラメータを創作したのではないかと、審査官が疑念を抱くような場合を指します。

こんなとき審査官はどうするのでしょうか。審査基準には面白いことが書いてあります。

「その他の部分に相違がない限り、新規性が欠如する旨の拒絶理由を通知する。」
要するに、他の箇所に相違点がなければ、細かい審査を行なわないで拒絶理由を出し、ボールを出願人に投げ返すわけです。ボールを受け止めて、先行技術との違いを証明するのは出願人の役割になります。そして、

出願人が意見書・実験成績証明書等により、両者が同じ物であるとの一応の合理的な疑いについて反論、釈明し、審査官の心証を真偽不明となる程度否定することができた場合には、拒絶理由が解消される。」
出願人が反論・釈明を行ない、審査官が、「一応の合理的な疑い」を抱いた状態から、「真偽不明」、すなわち本当か嘘かよくわからん、という状態となった場合には、特許にしますよ、というわけです。

この「真偽不明」というのも実際アバウトな話です。特許とは絶対的な基準で定まるものではなく、審査官が審査の過程でどのような心証を抱くかによって、登録査定となるか拒絶査定となるかが決まるということがハッキリとわかります。

民事訴訟法における自由心証主義とよく似ているように思われますし、よく考えてみれば当然なのかも知れません。しかし、研究部門から知財に来たPecanは最初に審査基準のこの箇所を読んだとき、こんなにいい加減なものなのか、と唖然とする思いでした。その反面、特許に対して感じていた敷居が低くなったようにも思います。以前にも書きましたが、技術と法律を土台にして行なう審査官とのディベートに過ぎない、と割り切れたのも、この箇所の意味を理解したからだと思います。

なお、「一応の合理的」というフレーズは、法律の世界ではよく使われるもののようで、判決文の中にしばしば見受けられます。例示のため、ググってみたところ、韓国ハンセン病訴訟の判決要旨として、以下のような一文が検索されました。

補償法が内地療養所と外地療養所の入所者を区別するのはあり得る取り扱いということができるし、一応の合理的な根拠もあり、区別を前提とした実質解釈も成り立ち得る。