特許明細書と客観的事実

神大教授 実験データ捏造し特許出願

 神戸大学が特許を出願した工具の発明について、工学部の大前伸夫教授(59)が実験していないデータを盛り込み、特許庁に提出していたことが二十七日、明らかになった。工具はダイヤモンドを使って鉄を精密に切削するもので、大前教授の研究チームは出願後、「新エネルギー・産業技術総合開発機構NEDO)」などから研究費の助成を受けていた。内部告発で大学が調査し、書類の捏造(ねつぞう)が判明。神戸大学は教授の同意を受けて今月二十四日、特許の出願を取り下げた。

 神戸大学の特許部門を扱う連携創造本部によると、捏造されていたのは、レーザーを使って原子をダイヤに照射し、表面の耐久性を高める実験データの一部。出願書類に記した八つのデータのうち五つについて、必要な装置がなく、実験を全くしていなかった。

(中略)

 大前教授は二〇〇五年三月、工学部助教授らとともに、大学を通じて特許を出願。同十一月に出願内容がインターネットなどで公開された。

 その後、共同研究した助教授から「内容に疑問がある」と大学側に申告があったという。連携創造本部が大前教授に聞き取り調査したところ、未実施の実験データを使ったことを認めたという。

(中略)

 大前教授は「将来達成できる可能性のある研究を特許申請することは、一般的によくあると思う。今回はこの考えに基づいた申請で、したがってアイデア段階のデータが多数含まれる。出願取り下げは、大学の決定なので甘んじて受けたい」などと文書でコメントした。

問題の特許は、この出願だと思います。内容をざっと見てみましたが、方法クレームに「原料ガスにレーザを照射して電荷を持たない原子ビームを生成して」という箇所があり、実施例の表にこの原子ビームを色々な原料ガスで生成させて8つの試料を作製した実験結果が書かれています。No.1~5の試料は原子ビームの発生箇所が3箇所ある装置で3種類の原子ビームを生成したときの例、No.6~7は1種類の例、No.8は全く使わなかった例(比較例)のようです。記事から推測すれば、No.1~5の試料については、出願当時には3種類の原子ビームを発生できる装置を保有していなかったにもかかわらず、「実施例」として実際に行ったかのように記載したことが問題となった、というものだと思います。

この事件に対する一般的な反応を見てみると、論文のデータ捏造と同じく「またか!」という呆れたものが目立ちます。これはある意味当然の反応かも知れませんが、教授が気の毒な気がします。この教授がこれまで発明者として公開されている特許は数件に過ぎません。教授と代理人との間でどのようなやりとりがあったのかはわかりませんが、このように経験があまりない教授が一から十まで全ての「捏造」を画策して、この内容で出願してくれ、と代理人に依頼したとは考えにくいからです。そういう意味で、自分の全責任で執筆する論文などとは事情がかなり異なるのではないかと、私は考えます。

ただ、教授のコメントの「今回はこの考えに基づいた申請で、したがってアイデア段階のデータが多数含まれる。」について、実際に行わなかった「アイデア段階のデータ」を、実際に行ったものを過去形で記載する「実施例」の箇所に書いたのは、まずいやり方でした。アイデア段階のデータであれば、発明の実施の形態の箇所に、このようにすればこれこれこういう理屈でうまくいくのだ、と現在形で自信たっぷりに記載すればよかったのでしょう。このあたりは、教授というより明細書を作成した代理人に問題がありそうです。まあ、後になってからなら何とでも言えますが…。

また、特許の明細書の内容は、事実と非事実が混在した曖昧模糊としたものです。これを客観的な事実以外は捏造、とする安易な白黒の二元論で割り切ってしまうのには大いに問題があると考えます。

以前書いたように、特許を取得する仕事とは、明細書に書かれた「技術」を題材に特許法の枠組みの中で、審査官とディベートを行うようなものです。このディベートでは、客観的な事実よりも、「明細書に書いてあること」の方により重みがあります。明細書の論理が最初から最後まで破綻せず、審査官がああ言ったときに、こう言い返せるためのネタをどれだけたくさん明細書に仕込んでおけるかが、特許を権利化する上で重要です。そのようなネタは客観的に確認された事実である必要はなく(事実のほうがベターですが)、技術的に間違っていなければ頭の中で考えたこと(想像)でもかまいません。そのような性格を有する明細書を、学術論文と比較すること自体がナンセンスであると思います。

なお、特許の世界に身を置く者として誤解を避けるために言っておきますが、特許の出願書類にはでたらめを書いても良いということではありません。必ずしも「実際の」データを記載することが必要とされているわけではない、ということです。特許は発明者が実際に作った発明品を保護するだけではなく、その発明の思想自体を保護するものです。したがって頭の中だけで思考実験を行った結果であっても、特許を取得できます。実際に行った内容しか保護できないとなれば、続々と発明の思想を利用した類似品が登場してきてしまい、発明に対する保護が不十分となります。そのような類似品を防ぐために、実際に行った内容の周辺部分を他者(他社)が実施するであろう態様を予想して、(実際に行っていない)アイデアを出願するということが多く行われてきています。これは日本に限らず全世界で共通です。

ただ、何事も行き過ぎは問題です。余談になりますが、例として、数値限定の特許(数値限定以外の箇所が公知)にみられる問題を挙げてみます。

日本の審査基準では、数値限定の特許が特許として認められるためには、その数値範囲の内外では、臨界的な意義が必要とされています。簡単に言えば、特許の数値範囲に入ると突然良い結果となり、数値範囲から外れると突然悪くなるというような場合でなければ特許になりません。ただ、自然法則を利用した現象でクレームの数値範囲(たいてい、2~100とかの整数(苦笑))の内外で突然良くなったり悪くなったりするはずがありません。それなのに、誰でも名前を知っている有名な大企業がそんな数値限定の特許を出しまくり、実施例には明らかに捏造したとしか思えないデータを記載しています。そのうちいくつかは審査の網を潜り抜けて特許となり他社を圧迫している状況です。審査官も怪しいと思っても基準を満たす限り特許にせざるを得ない状況でした。最近ではようやく審査もまともになってきましたが、90年代後半から2000年頃にかけてかなりお粗末な特許が多数権利化されていますので、何とかして欲しいところです…。と愚痴になりました。

さて、今回の事件をきっかけに、全大学で同じように過去にその大学の教官が発明者として出願されたものの真偽を全て問い出したら…。特に企業との共同出願案件で先生が発明者に名を連ねているようなケースでは、先生に敬意をはらって、発明の寄与に関らず、発明者として加えているものもあると聞きます。そういったケースでは出願前に明細書の中身をきちんと確認しているものは少ないでしょう。上述したように、企業は明細書に多少の創作があろうと全く気にしませんから、先生方は知らず知らずのうちに爆弾を抱え込んでしまっている…ことにもなりかねません。

また、大学の先生を共同発明者として加えた場合、事実以外を記載してはいけない、などということにでもなると、大学との共同研究は不可能になってしまう可能性があります。本件はそういった意味で大きな問題に発展する可能性があります。今後の成り行きを注視したいと思います。