神大教授・特許データ捏造問題・・・企業も姿勢を正すべき

7月14日に書いた記事にいただいたコメントやトラックバックに対して、コメント欄に返信を記載しかけておりましたが、長くなりそうですので、記事といたします。

MANTAさん、chem@uさん、「弁理士の日々」のボンゴレさん、f16fightingfalconさん、コメントおよびトラックバックをありがとうございました。

今回の場合、客観的事実のみで構成されるべき「学術論文」と、発明の思想範囲内で最大の権利取得を目指す「特許明細書」を同一視して白か黒かの二元論で割り切ろうとした不勉強なマスコミ報道にも問題があるとは思います。そこには、chem@uさんの以前の記事にもあるように、火のないところに煙を立てようとする意図があったのかも知れません。

しかし、MANTAさんがコメントで書かれていたように、昨今、論文データ捏造や研究費不正使用問題をめぐる不祥事が相次ぐ中、慣習であったとしても、事実に基づかない予想データを実際に行なった事実であるかのように記載することは、客観的に見て、イメージを落とすことはあっても、賞賛される行為とは言えず、大学にとってリスクとなることは明らかです。

chem@uさんからのコメントにもあるように、今回の事件が産学連携に与える影響は大きいものになる可能性があります。が、色々と考える中で、大学ばかりではなく、企業も同様なのではないかと思えるようになりました。すなわち、事実に基づかない予想データを、あたかも事実であるかのように特許明細書に記載して権利を取得することは企業にとっても法律的には問題ないかもしれませんが、企業として「正しい」あり方ではないのではないか、ということです。昨今、コンプライアンス(法令順守)が声高に叫ばれ、多くの企業でも組織を整えて目立つように活動をしております。しかし、いくら内部の書類を監査したり規則を整えたりしたとしても、特許明細書には、事実でないことを事実であるかのように記載する慣習を放置しておくならば“仏作って魂入れず”ということになりはしないでしょうか。法律に触れるものではありませんが、これが明るみに出て、今回のようにマスコミに「捏造」という先入観を持って報道されることを考えれば、企業にとって高い「リスク」となり得ると考えます。

ここでお断りしておきたいのは、実際には未確認であるけれども発明思想から当然予想される権利範囲を取得することを問題視しているわけではない、ということです。問題視しているのは、“行なっていない実験を実施例として実際に行なったかのように記載する”という一見「形式的」な点です。たかが「形式」ですが、されど「形式」です。

特許庁の審査官は、架空のデータであっても、明細書に実際に行なったと記載されている以上、怪しいと思っても、事実と見なさざるを得ません(これは実際に審査官との面談で知り合いが聞いたことです)。明細書が形式的に整っていさえすれば、すなわち、論理が一貫しており、特許要件を満たすことが明らかであるように記載されていれば、明細書の内容が事実かどうかに拘わらず、特許になり得るということを意味します。

通常、発明者が提出する提案書には、実際に自分が見つけた構成しか書かれていないことが多いため、発明を思想として捉えて上位概念化しようとすると、実施例に記載するための追加の実験が必要になるケースが多々あります。このようなとき、実際に実験ができれば良いのですが、事実上難しいことが多いため、発明者や知財担当者等が架空の実験データを実施例に記載して、明細書としての形式を整えて出願することが実務として行なわれています。今回の神戸大の事件における捏造の張本人である中井哲男教授も企業時代にそのような実務をしており、そのまま大学に持ち込んだのが失敗のもととなったものと想像しています。

しかしながら、誤解を恐れずに言えば、上位概念化したときに不足するデータを架空の実施例により補おうとするのは知財担当者としては手抜き以外の何者でもありません。自分に対する反省の意も込めた上でそう言い切りたいと思います。それでは、どのようにすればよいか…。妙案はありませんが、発明の本質をよく理解し、上位概念化した構成に対しても敷衍できることを明細書内で説明し、審査官が納得できるように書いていくしかないのではないか、と思います。さらに前回の記事でも書いたように、出願したらそれで終わりではなく、国内優先を活用して出願後に実施したデータの追加を行なうなど可能な限りフォローを行なうことにより、特許明細書の充実を図ることが効果的だと考えます。

特許という点だけから考えれば、他社と生き馬の目を抜くような戦いをしている中、あえて自社だけが不利な道を行くのは理不尽だとの反論もあろうかと思います。確かにその通りです。しかし、一方でコンプライアンスを唱えながら、他方では明細書の実施例に実際に行なっていない実験を行なったと記載して権利を取るというのは、どこかが間違っています。

ところで、「弁理士の日々」のボンゴレさんのトラックバック先の記事で紹介されているように、米国ではクリーンハンドの原則が適用されるため、明細書に行なっていない実験を行なったと記載することは特許の権利行使ができなくなるなどの厳しいペナルティが課せられます。米国の制度は、独自の先発明主義、多額の費用を要する裁判制度など、色々と問題はありますが、このクリーンハンドの原則はあるべき姿が具現化されており、かくありたいものと思われます。日本に出願するときには、どのような出願であっても、将来、米国に出願することを念頭に実務を行うというのも問題を避ける一つの手だと思います。